まだ薄っすらと、ほの暗い冬の朝六時。蛍光灯に照らされた駅のホームは、まだはっきり覚醒していない頭もあり、そこだけ別世界のように感じる。反対側のホームに電車が入ってきた。朝六時過ぎの上り電車は、まだそこまで混んでいない。扉の所に見たことのある人がいる。
色黒で金色の短髪。黄色いダウンジャケットを着ている。手を振ると向こうも気づき、手を振りかえしてきた。お互い笑い合う。電車が出発するまで、なんとなく恥ずかしく、ちょっと横を向いたりして出発を待つ。動き出してから、ちょこんとお辞儀をする。彼は笑いながら去って行った。
「知り合いじゃなかったら、絶対に近づかないよね」と、彼の前でよく仲間と笑い合う。彼は私のテコンドーの師範、篠本和義だ。
篠本さんに会ったのは一七年前。その当時は長い髪の毛だった。黒い髪をひとつに結わき、黒帯を締めていた。職業は職人さん。空に近い、高い所で働いている。土日は千葉の海へ波に乗りに行くサーファーであり、火曜日から金曜日までは、仕事の後に調布近辺の道場を四か所取り仕切っている道場長である。五六歳。とてもパワフルな人だ。
テコンドーを始めて二七年が経つという。始めたきっかけは、仕事の後にお酒をただ飲むのではなく、汗をかいてからが良いと思ったそうだ。空手を元にした、足技が中心のテコンドー。後輩がテコンドーの試合で優勝したのを観て感動し、それを思い出して始めたという。二七年という月日はとても長い。
どうしてこれほど長い間続けていられるのか。以前に聞いた時は、「昔悪いことをしてきたからその恩返し」だと笑っていた。「『継続は力なり』という言葉が好きで、その言葉が俺の力になっている。ずっと続けるってなかなか人には真似が出来ない。単純だけどすごく難しい。それをすることによって自分の力になる」と話す。色々な思いがあっての継続なのだろう。
続けていて良かったことは、いろんな人と知り合えたこと。それに尽きる」と。道場には本当に様々な人たちがいる。小学生から大学生、庭師、会社員、社長、スタントマン、動物のお医者さんなど。仕事の世界だけでは知り合えない人たちに出会える。
長い年月の中で学んだことを尋ねると、「人は一人では生きていけないってことかな、あんまり絆なんて言葉はわからなかったけど、そういうことなのかな。信用されて信用する。武道ということによって、利害関係が全然ない人たちと知り合えたこと。それは素晴らしい」と、力強い言葉だった。
なかなか道場に行けない時に、篠本さんから電話やメールが届く。「元気か?」と。仲間を思いやる気持ちが伝わってくる。気持ちが疲れている時に温かさをもらい、自分の居場所を感じることが出来る。
「テコンドーは世界を救う。卓球の選手が卓球は世界を平和にすると言っているのを聞いて、テコンドーもそういうことが出来るんじゃないか。そう思うようにしてる。何ができるかわかんないけど」と、真剣な表情で話してくれた。「辛かったことは休めない」と、にやっと笑った。最後には「自分がどこまでなれるか、それを見てみたい。まだ進化してる。自分の進化を見てみたい」と、これから先の夢を語ってくれた。
(H)